長い間、本当にありがとうございました。
今年度退任される教職員の皆様より、同窓生へ向けてのメッセージを頂きました。
長年、ご指導ご鞭撻を頂き、本当にありがとうございました。
退任される先生方
小畑 徳彦 先生
商学部 経営学科
2006年4月着任
小畑 徳彦 先生からのメッセージ
2006年に公正取引委員会を退職した後、本学に職を得て、15年間講義やゼミを担当させていただきました。
前職の経験から経済法で採用していただきましたが、そのほかにも知的財産権、法学入門、大学と社会、留学生向けの日本事情など、さまざまな科目を担当させていただきました。もともと経済法だけではなくそれ以外の分野についても研究してみたいと思っていましたが、おかげで授業を通して消費者法の進展、大学の置かれた状況や大学に関する政策、日本の政治経済の動向など、いろいろなことを勉強することができました。
私は大学時代、本格的なゼミも卒業論文も経験していなかったので、ゼミや卒論には悪戦苦闘し、ゼミ生の方々にはご迷惑をおかけしたのではないかと思いますが、それも私にとってはいい経験になりました。
最後の1年間は、コロナウイルスによる感染症の拡大によってリモート講義になりました。試行錯誤の連続でしたが、リモートなら学生は繰り返し授業を視聴することができ、教師も毎回の答案をファイルで出してもらった方が教室で毎回答案を書いて提出してもらうより個々の学生の状況を把握するのが容易なことなど、リモート講義にも対面よりいい面もあるということを発見しました。私の講義の多くは100人から300人以上の大人数授業でしたが、大人数でもまだまだ工夫の余地はあり、コロナはこれからの授業を変えていく契機にもできるのではないかと思っています。
15年間、同僚の先生方にも職員の皆様にも大変お世話になりました。また、受講生の皆さんの質問、答案などからも多くのことを学ぶことができました。
少子化やテクノロジーの発達により、これから大学を取り巻く環境は大きく変わっていくだろうと思いますが、流通科学大学と皆様のますますの発展を期待しております。
森 隆行 先生
商学部 マーケティング学科
2006年4月着任
森 隆行 先生からのメッセージ
2006年4月に本学に着任してからあっという間の15年間でした。
民間企業からの転職で、戸惑うことも多かったのですが、無事に教員として勤めることが出来たのは、先輩、同僚の教員や職員の方々の支えがあったからにほかなりません。
この機会に、改めてお礼申し上げます。
また、学部・大学院での講義やゼミを通じて多くの学生の皆さんと接するなかで私自身も多くのことを学ばせていただきました。
時に、卒業生から近況の知らせを頂き、社会人として元気に活躍している姿を見るのもとても嬉しいことでした。
近年、技術革新が顕著で、社会が大きく変化しています。
そうした中で発生した新型コロナによるパンデミックがさらに変化を加速させています。
これからの5-10年で社会は大きく変わり、価値観も変わってゆくものと思います。
そうした中で大学の授業だけでなく大学そのものの社会における位置づけや役割も変化するものと考えられます。
人も組織としての大学も、常に社会や環境変化に対応し自らも変わらなければ生き残ることはできません。
ますます変化が加速するなか、本学および在学生、卒業生の皆さんの更なる成長と発展を心からお祈りいたします。
田村 弘行 先生
商学部 経営学科
1993年4月着任
田村 弘行 先生からのメッセージ
1993 年4月に本学に着任してから28年間フランス語教員として勤務することができました。着任した頃は、本学が外国語教育に熱心で、フランス語は上級まで学ぶことができたため、1997年から2009年まで隔年で7回、海外フランス語学研修を実施していました。学生さんはフランス人家庭で2週間滞在、その後1週間モン・サン・ミッシェル、パリ旅行の研修でした。同行して毎回感じたことは、本学の学生さんたちの「生きる力」、本学流に言えば「ネアカ のびのび へこたれず」の精神です。フランス語を学んだとはいえ、フランス人と会話するには圧倒的にフランス語学習時間数が不足しています。家庭滞在が始まると最初のうちは全然聞き取れない・話せない自分に自信を喪失するのですが、彼らはへこたれません。身振り手振りでコミュニケーションをとりはじめ、笑いをとるなど彼らのサバイバル能力には本当に感心しました。この能力はフランス語学研修参加者以外にも感じられます。この「ネアカ のびのび へこたれず」の精神を卒業生の皆さんは確かに持っていると思います。本当に自慢して良いと思います。
研修後は、外国語スピーチコンテストに多くの学生が参加し、フランス詩の暗唱や作成したスピーチの発音練習を2か月あまり。練習後には研究室で食事会をよくしたものです。卒業しても同窓会のようにボージョレ・ヌーヴォーの会などがいまだに続いている研修グループがあります。(昨年は新型コロナのためにありませんでしたが)
退任するにあたって、研究室を片付けている最中に、卒業生の皆さんのレポートやアンケートを読みました。嬉しい言葉がたくさんあり、懐かしくあたたかな気持ちになりました。大学教員という職業のやりがいは、なんといっても、皆さんの成長を見守ることができたこと、そして皆さんとつながりを持てたことです。卒業生の皆さんが本学を卒業してよかったと感じてもらえれば、教員冥利に尽きます。
本学の事務の方々そして教員の方々は、他の大学に比べて、皆さんとの距離が近く優しい方々が多いです。皆さんが流通科学大学を卒業してよかったと言えるように、これからも教職員の皆さんは努力してくださると思います。皆さんも、自分の道を極めて流通科学大学にはすごい卒業生がいるぞ!と言われるよう頑張って下さい。COVID-19 の感染拡大が続く中での退職になってしまいました。くれぐれも身体に気をつけて下さい。卒業生の皆さんの今後の健闘を祈ります。Au revoir!!!
西井 和夫 先生
経済学部 経済学科
2007年4月着任
西井 和夫 先生からのメッセージ
私は、2007年4月より本学に着任して、2021年3月末に無事定年退職を迎えることができました。第I期のゼミ生は情報学部時代で3名(高野君、永田さん、松山さん)からのスタートでしたが、その後総合政策学部(2011年)そして経済学部(2016年)と学部名称改組を経て、配属ゼミ生の数も多くて1学年が20名前後の時代もあり、この14年間で約150名のゼミ卒業生が巣立ったことになります。
おそらく私は、ゼミ卒業生の多くの方にとって在籍時にあまり十分なコミュニケーションができず印象の薄い教授の一人だったかもしれませんが、中にはゼミコンパや課外活動あるいは卒業研究指導の中でのコミュニケーションによって、そして就活の相談などで少しインパクトを与えられたのではないかと。ただ、今更ではという話ですが、ゼミ仲間を創り、ゼミを通じて専門分野の「学び」への基本的な姿勢(知的好奇心と謙虚さ)とその継続(継続は力であり自信につながる)の大事さを理解してもらいたいと思ってゼミ生と接していたのですが、それがどれほど伝えられたかについては、まったく自信がありません。というわけで、社会人となってそれぞれの分野で活躍されているゼミ卒業生の皆様には、それぞれの分野での仕事あるいは日々の生活の中での「学び」についても、良き仲間を創り、高い関心と謙虚さそして継続力を怠らないように気をつけていただければと、今更ながらゼミ卒業生の皆様にメッセージを送りたいと思います。
最後になりましたが、本学での14年間の充実した、そして愉しい教育研究活動を過ごさせていただけたのは、本学の教職員の方々だけでなく、ゼミ卒業生に負うところが多く、ここに深く感謝したいと思います。(この写真は、2015年後期に在外研究先のUCSB滞在中の、私にとっての「愉しく充実した」一時のものです)
皆様も、これから益々「愉しく充実した」毎日を過ごされることをお祈りします。
蜂屋 真 先生
人間社会学部 人間社会学科
1988年4月着任
蜂屋 真 先生からのメッセージ
私は、本校が開学した1988年4月から2021年3月まで大学に33年間在職いたしました。
この間、同僚の先生方、事務局の方々、学生の皆さんに、いろんなことで大変お世話になりました。厚く御礼申し上げます。
私の在職期間中に、社会は様々な面で大きな変貌を遂げています。
いくつか紹介しますと、まずは情報環境の変化です。
1988年当時はまだ携帯電話がなく、通勤のサラリーマンたちは電車の中で皆新聞を読んでおりました。
しかし、今は電車の中で新聞を読んでいる人はほとんどおらず、皆さんスマホをいじっています。
コンピュータも1988年当時はインターネット環境になく、学生の皆さんはレポート作成の為の情報収集に苦労されていました。
次に、中国の変化です。
私は1991年に中国語学研修の引率として1か月間中国に滞在しました。
その時、中国人通訳の方は、語学研修の学生が乗るマイクロバスが日本製で、今の中国にはこのマイクロバスを作る技術すらないと嘆いておられました。
しかし、今や中国は、月へ探査機を着陸させる技術も獲得した、GDPが世界2位の大国に発展しました。
日本の抱える問題として、コロナ対策とオリンピックの開催の問題が連日テレビで取り上げられていますが、私はこれから日本に一番大きな変化をもたらすものは人口減少問題であると考えています。
日本の人口は、2020年には1億2500万人ですが、2050年には9500万人にまで減少すると予測されています。
もしこのペースで人口が減少すると、商店も、コンビニも、スーパーも、電車の本数も、自治体の数も半数で良いということになります。
この人口減少の影響はきっと大学にも直撃することでしょう。
しかし、実学をモットーとする、就職支援が手厚い、先生方が情熱的な教育を展開する流通科学大学は不滅だと思っています。
私は、流通科学大学が引き続き天下の英才を社会に輩出し続けられるよう、これから皆さんと共に外野席から流通科学大学を応援していきたいと思います。
加藤 曜子 先生
人間社会学部 人間健康学科
2001年4月着任
加藤 曜子 先生からのメッセージ
社会福祉士を養成するための学部ができた際、児童家庭福祉やソーシャルワークを教えるために赴任し、20年がたちました。
教えた学生は、社会福祉の分野で10年以上たち、中堅となって児童相談所や病院、さらに高齢者施設、障害児施設、ケアマネージャーなどで活躍してくれています。
児童養護施設で働いていた卒業生は、結婚・出産し、子育てをしながら、また障害児の通所施設にかかわっています。
会社員、小学校の先生やNPOの指導者になった卒業生もおります。
学科名が、医療福祉サービス学科、福祉マネジメント学科など、名前が次々に変わっていき、組織替えで、本学の社会福祉コースはなくなりましたが、第一線で活躍する社会福祉の専門職として、今後も、プライドをもって活躍していってほしいと願っています。
2007年から始めた虐待防止のためのオレンジリボン運動は、ゼミ活動の一環として2018年まで継続することができました。
お菓子会社や理事長、職員の方々のご理解も得て10周年を迎えることもでき感謝しております。
毎年、学園祭の2日間を目いっぱい、子どもやご父兄や近隣の方たちと遊びを通し交流できました。
私たちの活動報告が、厚生労働省の目にとまり、全国の大学・短大・専門学校が参加する初めてのオレンジリボン運動のモデルとなったことは大きな出来事でした。
虐待防止の啓発活動として、ゼミで、中高生のためのパンフレットも明石市、奈良県の協力のもと2回作成しました。
私は在職中、全国の自治体の協力をえて、児童虐待問題にかかわる調査分析にたずさわり、今なお、研究を継続させています。
児童虐待防止、子育て支援については、学際的な関心をえており、課題はつきることはありません。
コロナ禍にあっては、子どもの貧困化のみならず、スマホ依存からくる親子の争いや、子どもの不登校、孤立など課題をかかえ、ストレスフルな生活が続いています。
そういった現実にも敏感でありつつ、少しでも生活や心が豊かになる社会が作っていけることを願います。
SDGSの理念でもありますね。
ぜひ、また、お会いしましょう。いろいろお話し聞かせてください。
碓井 将夫 先生
人間社会学部 人間社会学科
2006年4月着任
碓井 将夫 先生からのメッセージ
本学にて勤務して、早や14年が経ちました。
最初に、私の授業を受講いただいた学生の皆さんに感謝します。
また、この14年間の私の仕事を支えてくださった学部教員の皆さま、日々の授業のサポートをシームレスに協力いただきました職員の皆さまに心から感謝申し上げます。
皆さまの支援がなければ、実際の教育業務やその準備に経験のない不慣れで不明な私がここまで仕事を全うすることはできなかったと思っています。
特に、昨年来からのコロナ禍の中、講義登録や通信環境の設定・準備では大変ご面倒をおかけました。
ご指導ありがとうございました。
さて、この文章が有朋会に紹介されると聞き、在学生や卒業生の皆さんへの贈る言葉として、以下に記したいと思います。
大学卒業後、産業界、教育機関での経営実務に約34年間携わり、その後本学にて教育現場で14年間学生の皆さんとともに過ごすことができました。
講義や演習を通し現業から得た社会人としての経験、すなわち、仕事への向き合い方の実際を、学生の皆さんに話をすることができたことは、私の心から望んでいたものです。
私のライフワークの一つとして、学生の皆さんへ、社会人先達としての使命としてそれを考えていたことです。
その中、授業にあたっては、遅刻厳禁、私語禁止等に厳しい言葉も用いましたが、いつも多くの刺激を与えたいという考えとその一心からでした。
講義を受講いただいた皆さんへ、私の実務経験から仕事への向き合い方を語ること、そして、それを現役最後の仕事とできたことを心から嬉しく思っています。
特に皆さんに何度も話したことは以下の言葉です。思い返してください。
「組織の使命を考えろ。自分に与えられた使命を考えろ。仕事の原点を考えろ。よい意見、よい考えを持っていても実行しなければ何の意味もない」、「仕事は自分でつくれ」、「実行しなければ成功も失敗もない。一回の失敗でめげるな、何度でも失敗しその都度立ち上がれ、そして成果を出せ」、「自分が最高の客になれ」、また、「コミュニケーションとは、自分の言葉や話が相手に正しく伝わってこそコミュニケーションになる。そうでなければただの独り言だ。相手にわかりやすく話をしろ」、「上司は変えられない。自分を変えろ」、「理不尽を当たり前と思え。それを乗り越えて成果を出せ」です。
私が、産業人として実務の渦中にあったとき多くの問題ぶつかり挫折を経験しました。
また、その経験も様々でした。その度に、与えられた仕事の原点に立ち返り、苦闘・模索しながらそれらを自分で解決してきました。
本学の学生の皆さんが、大学を終え組織に就職し、いずれその組織のリーダーの一人となることを前提に私の経験を話しました。
振り返れば、私が学生ときに、社会で組織人として当然ぶつかる問題に考え方の基礎となる予備知識が、技術的知識を含めあればどんなにそのとき助かったかわからないというようなことが数多ありました。
また、業務の実際から、これら問題について、それぞれの分野でこれを見れば、あるいはこれを突けば、ここに軸をおけばその問題の解決の方法の全てが理解できるという起点が必ずあります。
ここでは長くなりますので繰り返しませんが、それらを専門科目の中で折に触れ、講義を通じその急所を話しましたが、また、特に経営管理論の講義では、私が、学生のときに講義を受け、また指導教授より直接習いもしましたが、組織人として現場での経験がないがゆえに十分咀嚼しきれず理解が十分に及ばなかったP.F.ドラッカーの「現代の経営」(マネジメントの実務とその実際)を、産業人として実務経験から言葉を足し内容を砕き具体例を示すことともに話しをすることができました。
組織人として、また将来のリーダーとしてどのような視点から組織をとらえ、顧客開拓や組織運営を行うのか、そこに重点をおき講義を行うことができたと考えています。
毎回の講義での皆さんからの気づきやコメントから、問題意識をもち授業に取り組みその成果を得てくれたことを確信しました。
現在の学生の皆さんや若い卒業生の皆さんは、近い将来に組織のリーダーになります。その皆さんに、社会人の一人の先達としての私の役割と責任を果たすことが講義や演習を通してできたと考えています。
そして、最後の講義で、経営学の第一人者・P.F.ドラッカーの言葉にありますが、「あなたは、何によって憶えられたいのか」ということを常に考えながら、皆さん自身が生活や仕事に向き合うこと、またそれを問い続けていくということを、締めくくりの言葉として学生の皆さんに贈ることができたことを嬉しく思っています。
学部教員の皆さま、職員の皆さま、ありがとうございました。
最後に、卒業生の皆さんのこれからのさらなる活躍を、本学の発展とともに心から祈念いたします。
栗原 正憲 先生
人間社会学部 観光学科
2014年4月着任
栗原 正憲 先生からのメッセージ
1971年4月にANAに入社し43年間勤続、その後ご縁を頂いて2014年4月より本学に着任して7年間教員として勤務させて頂きました。
長年勤めてきた企業人としての仕事とは異なり、当初は不慣れでぎこちない船出でしたが、多くの学生たち、先輩、同僚の教員教職員の皆さんに温かくサポートして頂きながら、楽しく充実した教員生活を送ることができました。
振り返れば、角川クロスメディア様との共同企画として「学生たちがつくる新しい神戸観光」をテーマにゼミ生たちが活動し関西ウォーカーへの特集記事の掲載、過疎化高齢化が進む淡路島の廃校小学校を舞台に多数の教員の皆さんのご賛同を頂き合同ゼミで社会貢献活動「Nプロジェクト」を展開、ネアカ塾での講話など貴重な経験をさせて頂き私にとってはかけがえのない心に残る財産となりました。
また、本学のりゅうか祭では毎年ゼミ生と一緒に模擬店を出店しました。
売れ残って食材が余ってしまう不安な気持ちを抱きながら、いつの間にか私もエプロンをして調理に参加、ゼミ生みんなで声を出して必死に完売目指して販売した姿は忘れることができません。
見かねた多くの同僚の教員教職員の皆さんには同情買いをして頂き、改めて心から感謝申し上げます。
お陰様で、多くの履修学生たち、進んで活動を共にしてくれた学生有志の仲間たち、そしてゼミ生たちから私自身が多くのことを教えてもらいました。
本学のますますの発展を心からお祈り申し上げますと共に、私も陰ながら本学応援団の一員として今後もエールを送り続けたいと思います。
本当にありがとうございました。
退職される職員の皆さん
山崎 誠士 さん
入試部 訪問チーム
1998年4月着任
山崎 誠士 さんからのメッセージ
1998年6月に着任してから23年間職員として勤務することが出来ました。
就職課→学生課→20周年記念事業プロジェクト→アジア流通研究センター→学生課→就職課→教務課→高校・企業訪問チーム
大学職員の仕事は前職とは全く違い戸惑いもありましたが、学生、教職員の方から、学ぶことも多く、感謝しています。
また、シルバースタースキー部、女子硬式テニス部、硬式野球部の副顧問をさせていただき、学生達と接することが出来て、良い思い出です。
大学も少子化等沢山の難題を抱えていますが、流通科学大学の特色を活かして、発展していただきたいと思います。
卒業生の皆様には、明るく前向きに流通科学大学で学んだことを忘れずに精進して欲しいと願っています。
本当に永い間、お世話になり、ありがとうございました。
和田 正統 さん
入試部 訪問チーム
1998年4月着任
和田 正統 さんからのメッセージ
1998年3月の大学着任以来、早や23年の月日が流れました。
初めの3年間を除いた20年間、主に留学生関連の仕事を続けてきました。
特に、2001年から2010年までの10年間は、学生課、アジア流通研究センターに所属していましたので、留学生のすべての学年の皆さんとの交流機会が多く、ほんとうに充実した時間を過ごさせていただきました。
ですから、今でも私は、当時の留学生の名前をほとんど憶えているばかりでなく、名前を聞いたり見たりすると、顔や声までも頭に浮かんでくるほどです。
一方で、2年に一度、本学の学生と教員が中国を中心としたアジアの流通事情を調査する「流通調査隊」にも関わっていましたので、日本人学生との交流も比較的多く、今でも時々連絡を取り合い、コロナ禍以前には直接会うこともよくありました。
もちろん、卒業後に日本で就職して頑張っている留学生の皆さんとも会うことがあり、共に食事することなどもよくありました。
2011年1月にキャリアセンターへ異動になってからは、留学生だけでなく日本人学生の相談も受けていたことで、更に人間関係も拡げることができました。
このように、幅広く学生の皆さんと交流させてもらえた私は、大学人として本当に幸せ者だと思っています。
そんな私が、大学を退職するにあたって皆さんに願うことは、ただ一つ。”流通科学大学の卒業生であることの誇りを持って、元気に社会で活躍を続けていただきたい” ということです。
私自身は、本年(2021年)の3月いっぱいで大学を離れますが、4月からは神戸の新たな会社で、外国人留学生関連の仕事を続ける予定です。その仕事は流通科学大学とも関係するため、大学との繋がりは途切れることはないと思います。
私も、流通科学大学OBの一人としての誇りを持ち、大学での貴重な経験を活かしながら、年齢に負けることなく活躍できるよう頑張っていくつもりです。
皆さん、和田老師を忘れないでいてくださいね。
憶えてくれている人は、ぜひ連絡ください!お待ちしています‼